祝島に滞在して その二 [祝島]
(祝島のびわ畑)
祝島へ向かう日。
朝、五時に起きまして、
五時半の電車に乗りました。
なぜ、こんなに早起きなのかと申しますと、
祝島へ行くには、
船に乗らなければならないのですが、
その船が一日二便なんです。
午前出発と夕方出発。
大阪から行く人は、
大抵、夕方出発の船に乗りますが、
私が行った日は、
祝島で丁度、朝市が行われていまして、
午前出発の船に乗れば、
この朝市に間に合うので、
こんなに早くに起きたのでした。
朝市があると知ったのは、佐野高太郎さんのツイッターでした。
佐野さんは写真家です。
東京在住でしたが、
原発事故以降、住居を祝島に移して、
農業をしながら、写真家をしている方です。
面識がありませんが、
その生き方に感銘を受けまして、
ブログやツイッターを見ておりました。
どこに住むかというのは、
人にとって非常に大事なことで、
話が少しそれますが、
私自身は宝塚市で生まれまして、
一歳の時に滋賀県に引っ越して、
高校卒業と同時に大阪に引っ越して、
浪人の時は堺市に住んで、
大学の時は富田林市に住んで、
芸人になった時は、師匠宅の近く、東大阪市に住んで、
師匠が亡くなってからは、大阪市に住んでおり、
滋賀県にいた期間よりも、
大阪府に住んでいる期間の方が長くなりました。
大阪市は新婚家庭家賃補助制度があり、
家賃補助として、月二万円、六年間も貰えますので、
有難いのですが、
人生で一度ぐらいは東京に行ってみたい、
花のお江戸で一旗揚げてやろうと、
思った時期もあったりします。
しかし、子供が生まれてみますと、
何かと実家に近いほうが便利でもあり、
東京に住んで、
小南湖が、
「てやんでぇべらぼうめ。神田の生まれよ」
なんて喋り出すと、困ってしまいますからね。
芸人として生きるならば、
大都市の方が仕事がある。
子育てを考えるならば、
都会よりも自然豊かな土地の方が良いと思っています。
子供が小学校に通い出すと、
引越しもしにくくなりますので、
生涯、大阪に住むのかなあと考え出した頃に、
親の勧めがあって、
マンションを買うことになり、
どこのマンションにしようか、
あちこちのモデルルームなどを見学して、
大阪市内のあのマンションにしようと決めた時に、原発事故が起こりました。
その直後は、
さて、マンションを買ってしまっていいのか、
そもそも、大阪に住んでいてもいいのか、
迷いがありました。
色々と考えて、
現在は大阪で子供を育てながら、
芸人として生きています。
話が随分とそれてしまいましたが、
住む場所というのは、そう簡単に変えることが出来ないのに、
佐野さんは、
東京から、祝島に引っ越しました。
その決断が素晴らしいです。
祝島に行ったら、佐野さんと会えたらいいなあ、
そう思いながら、
電車、新幹線、船を乗り継いで、約五時間。
祝島へ到着しました。
港の側で朝市が行われておりまして、
そこに佐野さんがいました。
あっさり会えてしまったのです。
佐野さんに教えて頂いた生ひじき。
ひじきが解禁になるのは冬で、
大潮の日に、潮が引いた後、鎌でひじきを刈るのですが、
冬の大潮は夜中になり、
寒い中、ひじきを刈る。
それを大釜で三、四時間茹でて、
蓋をして一晩蒸す。
こうして出来たのが、生ひじきです。
食べると海の味がします。
これを天日に干せば、乾燥ひじきになりまして、
日本全国どこでも食べることができますが、
生ひじきは滅多に食べることができません。
(祝島の乾燥ひじき)
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